ホーム資料中学校英語情報誌:Sunshine LetterWebリレーコラム 第2回 

英語に興味を持ったきっかけは?
 英語というよりも「ことば」そのものに強い興味を持った子どもでした。子どもの頃の記憶ですが、小学校1年生の国語の教科書の巻末にあった五十音図の中に、見たことがないひらがな「ゐ、ゑ」とカタカナ「ヰ、ヱ」を見つけたことが、文字に興味を持ったきっかけだったと思います。その後、父方の祖母(1890年生まれ)が書いた文章の中にこれらの文字を見つけ、今ではそば屋やうなぎ屋の看板でしか見られない不思議な文字が多用されていることに気づきました。それは変体仮名と呼ばれる文字で、明治政府が学校教育から排除するまでは庶民が日常に用いていた文字です。
 アルファベットに興味を持ったのは、小学校4年生で訓令式ローマ字を学習したときだったと思います。「あー、かー、さー、たー、なー」と伸ばして発音すると、最終的にはすべて「あ」の音になることの理由が分かり、五十音図が<子音+母音>の体系性を表していることに感動していました。
 このように、ことばに興味を持って中学校に入学しましたので、新たに学ぶ英語は興味と楽しみの連続でした。teacherというつづり字を見て、英語ではeaを「イー」と読み、erは「アー」と読むのか、などと自己流フォニックスのようなものを考えながら単語を覚えていった記憶もあります。入学祝いに買ってもらった万年筆で、教科書New Princeのお手本を真似て筆記体の練習をするのも楽しみでした。
なぜ教員を目指そうと思ったのですか?
 小学校1年生の頃は、学校から帰宅すると「今日はどんなことを習ったの、教えて」と母に言われるのが日常でした。国語や算数で学習したことを一生懸命に説明していると、「すごくよく分かる。お話が上手だね。学校の先生みたいだ。」と褒めてくれるのです。「口頭で復習させよう」という母の意図には全く気づかないまま、無邪気に喜んでいました。この体験が「自分は教員に向いているのかも知れない」という漠然とした自信の基になったのだと思います。
 中学校時代は「教員を目指すなら東京教育大学に入ろう。国立大学に合格できる県立高校に入ろう」という気持ちで必死に勉強しました。しかし、第一志望の高校に入って気が緩んだのか、高校時代はあまり真面目に勉強せず、バンド活動や映画撮影に没頭していました。教育大が廃学になってしまったので目標を失っていたのかもしれません。紆余曲折はありましたが、「教育大がないなら、筑波大学に行くしかない」と覚悟を決めました。この時点で「教員になりたい」という、子どもの頃の夢に回帰したのだと思います。
影響を受けた恩師、同僚は?
 英語学習者として、影響を受けた恩師はたくさんいます。最初に強いインパクトを受けたのは、高校1年生の時に英語B(読本)を担当して下くださった新免裕一先生です。先生は教科書をほとんど使用せず、短編小説や雑誌などの「生の教材」を使用されました。1学期後半には小泉八雲のMujinaを読み、夏休みの課題図書はE. CaldwellのSnackerでした。2学期にはR. DahlのLamb to the Slaughterをゾクゾクしながら読んだことを今でも鮮明に思い出します。
 大学では、英語学を安井稔先生・安井泉先生・中右実先生・原口庄輔先生に、音声学は島岡丘先生に、英語科教育法は浅野博先生にご指導いただきました(不勉強な学生だったので、先生方の偉大さを実感できたのは大学を卒業して教壇に立ってからでしたが…)。多くの先生方にお世話になりましたが、足を向けて寝られないほどの恩を受けたのは、卒業論文を指導して下さった安井泉先生です。先生と出会わなければ、今の私はありません。
 筑波大学附属駒場高校(通称、筑駒)で教育実習をさせていただいた際には、指導教官の中村豊先生からも大きな影響を受けました。先生は学校文法や英語学の大家で、旺文社の参考書や大学入試問題正解の執筆者でもあり、愛読書はR. QuirkのComprehensive Grammarでした。
 初任校である神奈川県立外語短期大学付属高校(現在の横浜国際高校)では、守屋宣裕先生から、教師としての英語力の鍛え方について強い影響を受けました。先生は英作文・語法の大家で、J. Archerなどのペーパーバックを読みながら、切れ味のよい表現を収集されており、その方法を一生懸命に真似しました。
教科書著者として、やりがいを感じたエピソードは?
 その後筑駒に異動し、中学生を初めて担任していた30代前半に、恩師である島岡丘先生から「SUNSHINEの執筆者に加わらないか」と声をかけていただききました。自分自身が中学校で学んだNew Princeの流れを汲む教科書に関われるというのは、大げさでなく夢のような気持ちでした。
 「自分は、中学校現場で教える英語教員の代表だ。現場の先生方に『こんな教科書が欲しかった!』と言って頂けるようなものを作りたい」と意気込んでいたことを思い出します。現行版SUNSHINEの3年生に「Our Project ⑦ 記者会見を開こう」がありますが、これは旧版の「My Project 有名人にインタビューしよう」を発展させたものです。この活動は机上で考案したアイディアではなく、筑駒で実際に行った「有名人への架空インタビュー」という活動がもとになっています。私の授業実践が教科書に反映されたのです。
 文法配列でも、自分のアイディアが採用されるのは大きな喜びです。「動詞+目的語+動詞の原形」という文構造では、動詞としてhelp, letしか取り上げていない教科書が多いのですが、中学生が苦手とするSVOCと関連付けて指導する方が効果的だ、という私の考えが採用されたため、SUNSHINEでは意図的にmakeを使った文も取り上げることになっています。
 また、SUNSHINEが使われている地域にお邪魔して、教科書作成の意図を伝えたり、先生方から実際の授業での教科書の使い方を学ぶことができることも、著者として醍醐味だと感じています。
余暇の過ごし方は?
 高校時代から続けているバンド活動です。子育て期間は休止していましたが、最近になって復活して、年に何回かライブハウスに出演したりするようになりました。担当楽器はキーボードです。幸いなことに絶対音感に恵まれているため、楽譜に頼らずに耳コピでビートルズや70年代ロックを弾いて楽しんでいます。若い頃のようには速く指は動きませんが。
 また、最近は職場の仲間たちと「街道を歩く」というサークルを作って、東海道を歩いています。数年前に日本橋から歩き始め、2023年12月には静岡市の駿府城跡から先を歩きました。歴史・地理・観光などを専門とする仲間と歩くと、新鮮な発見があります。
 さらに、走ることが好きで、以前はよくジョギングもしていました。しかし、2023年1月に右太股の肉離れ、6月に左膝後十字靱帯損傷、と続いたために運動ができずに腹が出てしまい、足腰の衰えを痛感しています。若い頃のスローガンは「歌って走れる英語教師を目指す」だったので、それを思い出して身体を鍛え直そうと思っているところです。
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