家庭科大好きかてぽんがインタビューする「かてぽんの"家庭科先生!教えてください"」シリーズ。開隆堂の小学校家庭科教科書の代表著者である横浜国立大学の堀内かおる先生と、中学校家庭分野教科書の代表著者である金沢大学の綿引伴子先生にインタビューした内容を、全5回にわけてお送りしています。
第4回は、「これからの家庭科」についてです。

かてぽん:こんにちは!家庭科が大好きな「かてぽん」です。今回のテーマは「これからの家庭科」です。今の時代における家庭科の役割や家庭科に期待することについて、どのようにお考えでしょうか。まずは堀内先生、お願いします。

堀内先生:そうですね。今の時代って、10年20年前とすごく変わったなって思うんです。デジタル化やAIの発達が1番の原因かなと。自分の手で手作りをするとか、自分で段取りを考えてどうやっていけばいいか試行錯誤してみるとか、自分でゼロから考えなくてもAIに聞けば作ってくれる。そんな時代に今私たちは生きているわけです。先日、あるIT関連の企業の方とお話をする機会があり、その方は何台ものAIに指示をして、アウトプットされたものを取りまとめていくのが日常だと仰っていました。また「人間らしさって何だろう?」と自問する日々を送っているようでした。

かてぽん:AIとかかわることで、逆に「人間とは?」について考えてしまうんですね…。

堀内先生:今、小学生の子どもたちが大人になって社会の中核となる10年後、20年後は、この状況がさらに進んでいくだろうと思うんです。そういう時代の中で「生活について学ぶ」とはどういうことか、私たちは考えなければいけない。家庭科はずっと「よりよい生活」を求めてそれを実現できる力をつけることを教科の柱としてきました。すると、その時の「よりよさ」って何だろうって思うんです。AIに指示をして一気に自分の代わりにやってくれる合理的で簡略化された生活がよりよい生活とイコールなんだろうか。もちろん合理化のメリットもあります。例えば、小学校教科書97ページにロボット掃除機の開発者のコラムがありますが、実際に私も使っていて、毎日の掃除の簡略化でお世話になっています。

堀内先生:ロボット掃除機が掃除をしてくれる時間に、私は別のことができるわけです。生活するうえで、何かが代わりにやってくれることで、時間が浮く。その浮いた時間を生活の何に当てていくかを考えることが「よりよさ」につながる部分かなと思っています。これからの家庭科を考えた時に、教科書には基礎・基本が書かれているといいましたが(第1回記事を参照)、それをベースとしつつ自分なりの暮らしについて望ましい・望む暮らしのあり方を思い描けるような視点やきっかけを与えていくことが、家庭科という教科の役割として重要だと思っています。忙しい日常、教科も多々ある中で、家庭科が授業として存在している意義は、授業であるからこそ全ての子どもたちがその時間、「生活」というものに具体的に向き合う時間が公教育に保障されているということです。多様性の時代の中で、人が人間らしく豊かな生活を自分で作っていくための基礎的な教養を学ぶというのは、授業であるからこそ保障されることで、それを家庭科が担っていると思っています。生活に関心を持たせられるように、学びの入り口の段階で、子どもたちの生活と向き合う姿勢を作るとか、基礎・基本となる知識・技能をきっかけとして学ぶ授業をしていくところが家庭科の意義だと思います。色々なことが合理化され、機械化され、デジタル化されていく時代だからこそ、自分の生活をふり返り、人間の生活の営みについて改めてちゃんと考えてみるきっかけを与えることは、家庭科という授業があるからこそできることだと思います。

かてぽん:AIが発達する現代だからこそ、家庭科で学ぶ生活の営みの重要性が浮き彫りになるということですね。そうした中で、家庭科の授業ではどのようにAIなどの最新技術と向き合っていったらよいでしょうか?

堀内先生:実は私も最近になって色々とAIを使うようになりまして…。例えばイメージを形にしてくれる(イラスト作成)などで役立っています。先日フィンランドに1人で行った時、切符の買い方から駅の歩き方まで全部AIに日本語で尋ねたら教えてくれるんですね。だから1人旅であったとしても不安はなかったんです。ですがAIは間違ったことも教えてきます。目指すホームまでの経路を聞いたら、現地でどう見ても地上だろうと思えるところなのに何回聞いてもAIは「地下に行け」と言うんです。それでそこにいた駅員さんに(ここは英語で)尋ねたら、地上のホームが正解でした。AIもパーフェクトではない。これはメディアリテラシーの話かもしれないですが、便利でいろんな情報を与えてくれるものが増えれば増えるほど、その情報の正しさをどうやって見極めるかという私たちの判断力が問われますよね。家庭科において、いろんな形でAIを授業に取り入れていくことはできると思います。だけど、子どもたちはAIが言ったこと、示したことをそのまま「答えだ」と鵜呑みにしてはいけない。むしろ生活の中の批判的思考を養っていくための道具としてAIを活用するという授業は面白いのかなって思いますね。

かてぽん:AIが正しいかどうかを見極める授業。面白い観点ですね。

堀内先生:例えば、ご飯を鍋で炊く時の炊き方を教えてとAIに聞くとどんな段取りを出してくれるんでしょうか。結局AIは、今世の中に溢れている情報を学習した結果としてアウトプットしてくるから、逆に世の中でどんな風に言われているのかを客観的に捉えてみる分析的な視点で見る材料になるということです。例えば、「家庭科の目標について説明して」と指示すると回答を出してきます。でもそれを見て「この文章は学習指導要領のあの文章だな」とか、「なんでAIがこういう答えをしたんだろう」っていう見方をしてみると、洞察力が深まって面白いかなと思います。だから、どうやってすぐ授業に使うかとか、あえて使うものじゃないとか、二極化した見方ではなくて、ちょっと興味深い道具だと捉えて、授業の中で向き合ってみるのも1つの手かもしれません。

かてぽん:AIを使って、世の中で言われていることを客観的に見るんですね。

堀内先生:「合理化する」と言った時にその形だけの合理化は教育として何の意味があるのかということです。例えば「ワークシートを作って」と言えば作ってくれます。だけどそれが自分の授業の目的に合致したワークシートになっているかどうか、吟味をしていただきたいです。「ここを書き直して」とか試行錯誤を繰り返してAIを助手として使うのなら、それは私もしていることです。だからAI丸投げで自分の吟味が全く入らずにアウトプットされたものを使うことは、自分のためになりません。それは子どもにとってもそうです。授業の中で子どもたちが何かを調べて発表する時に、AIを活用するならAIが出してきたものの妥当性を吟味する責任があるということです。

かてぽん:鵜呑みではなく吟味して使うことで、自分で考える必要性が出てくる。これが大事なんですね。ありがとうございました。続いて綿引先生、「これからの家庭科」について期待することをお聞きしたいです!

綿引先生:家庭科では身近な生活を学習対象としていることから他教科以上に「実物」や「体験」を重視してこれまでも授業を行ってきました。それはこれからも大事にして生徒の生活と学びをつなげて欲しいなと思います。例えば、コンビニ弁当を教材にして授業をする場合、スライドや写真で見せるのと実物のお弁当を見せるのとでは、子どもたちが考えたり、感じたりすることは全然違うと思うんですね。

綿引先生:実物を見れば、油っこい油を使ったおかずが多そうとか、容器が底上げされているとか、たくあんの色がどぎついとか、直に感じて、そこから発言できると思うんです。でも写真やスライドだとなかなか子どもたちの素直な意見が出にくい場合があると思います。第2回記事できゅうりを切る授業の話をしましたが、実はその前に、調理室や器具に慣れるために、「お茶を淹れる」と「羊羹を切る」を取り入れたんですね。「羊羹を切る」は包丁の扱い方になり、「お茶を淹れる」はガスでお湯を沸かして、日本のお茶を味わい理解するなどがあるんです。その後、第2回記事で紹介した「きゅうりの切り方」を学習して、しょうが焼きの調理をし、最終的には自分で考えたお弁当を作るまでできるようになります。

綿引先生:食生活の授業の最後で生徒にふり返りを書いてもらうと、意外にも、しょうが焼きやお弁当作りよりもお茶について書いた生徒が多かったんです。

綿引先生:中学生が緑茶に対して肯定的には受け取らないのかなと思っていたわけですが、実際は「お茶ってこんなに香りがいいんだ」という感想がありました。水出ししたお茶とお湯で出したお茶と飲み比べもしたら「私は水出しのこの甘いのが好き」とか、「もっとお茶のことを知りたい」とか、お茶について書いた生徒が9割近くもいたことに驚きました。その時に、「子どもたちは関心がないなんて思ってはいけないな」と思いました。そういう場を提供したり、体験させたりすることで、日本の伝統食にも理解を示したり、関心も広がる。実際に体験をせず、ただ教科書に書いてあることで授業をするだけなら、出てこないことですよね。やはり体験から知識、関心も広がるし、五感を通して感じることがあります。乳幼児とのふれ合い体験でも同じことが言え、ふれ合い体験を中核にした保育学習は広がりと深まりがあることは、多くの研究により明らかになっています。

綿引先生:小学校の事例ですが、「ご飯と味噌汁」でご飯を炊く前の授業を参観した時にも思いました。その時の授業は研究授業などではなく、通常の1コマでしたが、なぜご飯を炊く前に水に浸すのかについて考える授業でした。先生は、乾燥したお米1粒と水に1時間浸してふやけたお米1粒の計2粒を一人ひとりに渡します。で、ここから何が分かるかな、どんなことを考え感じるかなと問いかけるところから授業が始まる。そうすると子どもたちから「水に浸したお米はふやけてる」、「膨らんでいる」、「色が変わってる」、「乾燥したお米は硬くてこれだけだと食べられない」など様々な意見が出る。その後に栄養教諭の先生からの、お米を水に浸たすとどんな風に変化してどんな風においしくなるかについて小学生が理解できるレベルの科学的な話を紹介しました。この授業では、このお米2粒があるかないか、見たり触ったりできるかできないかで全然子どもの関心も理解も違うなとわかりました。実物というと、何か大きな仕掛けがいると思われがちですが、そうではなく、特に家庭科は身近なところにいろんな教材になるものが転がっています。デジタルやICTがどんどん入ってきて、それらへの対応もあるかもしれませんが、やはり実物や体験を取り入れた授業作りは家庭科で特に大事にしたいと思っています。デジタル化・ICT化が急速に進んでいる今だからこそ重要さが増しているように思います。当然ですがただ体験して終わりではなくて、その体験がどういう学びにつながっていくのか、昔言われた「はいまわる経験主義*」といった体験重視の問題を指摘された時代もありましたが(それは家庭科の批判ではないですけども)、その体験を学び全体の中にどうつなげていくのかという視点は大事だし、そこはもしかしたら家庭科の課題でもあるかもしれないと思っています。
*はいまわる経験主義…戦後、日本の教育において子どもの生活経験ばかりを重視し、系統的な知識や理解が軽視された活動主義的な学習姿勢への批判的なことば。

かてぽん:実物や体験を通して初めて得られることがある。それはこれまで家庭科が大事にしてきたことだし、これからもそこは変わらないということですね。続けて、家庭科の授業でAIの技術とどう向き合っていったらいいのか、お考えを聞かせてください。

綿引先生:最新技術については、いろいろな方々が様々な授業実践を発信しています。ただその効率や時間ばかりを重視すると、本来の学びの面白さや豊かさが削がれてしまう場合もあるので、その点は注意したいなと思っています。「AIを発展させるためには、センスや好奇心が大事であり、そのためには手足を使った体験が必要である」とAIの研究者が述べています。でもそれはAIだけではなく、様々なことに言えるし、生きていくことの基礎なのだろうと思っています。意見交換するときでも、顔を見て話し合うことの良さがあります。生徒たちはICTとなるとしっかり書かなきゃいけないとか、先生の求める正解に近いことを考える傾向があるように思います。

綿引先生:でも3、4人の対面ならあまり自信がないことでも、考えがまとまっていなくても本音の対話がしやすいんじゃないかなと思います。話し合いの時にはそういう安心感が大事です。対面での話し合いは、時間がかかるかもしれないですが、大事だと思っています。先日聞いた中学校の先生の話ですが、「生徒が無言でタブレットに向き合っている姿は無機質に感じた。以前はモノを介して頭を突き合わせて自然に会話や笑顔が生まれたことをあらためて思った」と話していました。ICTの使い方にもよりますが、授業が定型的・画一的になりがちなど、いろいろな方が指摘しているので、そうした懸念も気になります。近年、先進的に教育にデジタル技術を取り入れてきた北欧をはじめとしたヨーロッパでは、デジタル教育の見直しを進めています。また最近では、東南アジアでも、子どもたちのSNS利用を制限したり、慎重になったりという国が出てきています。先進的にデジタルを教育に取り入れている国々の知見を、日本は真摯に受け止めて、マイナスをどう解決していくかは大事なことだと思っています。