
1996年、ミュージシャン・タレントとして活躍する池田貴族さんは、ガンの宣告を受けました。ほどなくして妻の一美さんの妊娠がわかり、一美さんは出産を決意します。そして、娘の美夕ちゃんが誕生。美夕ちゃんが1歳になった頃、池田さんは余命半年の宣告を受けます。池田貴族さん、一美さん、美夕ちゃんの姿を通じて、「家族について」「いのちについて」考えます。
ディレクター 石川明敏 |
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「自分のすべてをカメラにとってもらえないだろうか。進行性のガン、しかし生きることは楽しい。それを伝えたい」池田貴族さんの想いは、入院した名古屋の病院から、映像として記録されることになりました。 |
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年が明け体調が落ち着いてきます。一美さんは夫の食べる食事を、肝臓に負担をかけない食材と調理法を考えて、すべて作って病室にもってきます。妊娠がわかった後、池田さんは一美さんに「どうせ死ぬんだから」とつぶやいたことがありました。妻はそれを一喝しました。「そんな人の子どもは産めません」 |
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「一番楽しく感動することだから、それを死ぬ前にどうしてももう一度やりたい」ミュージシャン池田貴族は、ガンと戦いながら作詞を始めました。まず最初に書いた歌詞は娘へのメッセージソング「MIYOU」。退院を許された池田さんは、ミュージシャン仲間とレコーディングを行います。 |
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暮らしの中の小さな出来事を一つ一つ丁寧にこなし、決しておろそかにしない。生きるということ、それが素敵に思える日々の暮らし。2ヶ月後の検査入院では肝臓のガンは奇跡的に小さくなっていました。しかし、肝臓のガンは肺に転移していました。家族になんと言えばよいのか悩みながら池田さんは「娘が3歳になるまでは生きていたい」と語ります。 |
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余命半年と宣告されてから10ヶ月、赤坂ブリッツは、末期がんのロックシンガーに何かがある、と感じた若者たちで埋め尽くされていました。「ステージに立つことができたら死んでもいいと思っていたけれど、やってみたらまたやりたいという欲が出てきた」といいます。 |
おだやかな日々の暮らしの中、家族がいて泣いたり笑ったりする毎日。それがある日ガンという病気の宣告によって消されてしまいます。家族がガンに侵されたとき、わたしたち家族はどう生きていけばよいのでしょうか。医学の現状、家族の愛情、それだけでは乗り越えられない残酷な現実。そのとき、あなたならどうしますか。 ※本ビデオは、1999年5月31日 日本テレビ「スーパーテレビ情報最前線」で放送されたものを再編集したものです。 |


取材が始まって3ヶ月くらいたった頃です。タクシーの中で池田さんは、まっすぐ前を向いたままつぶやくように言いました。「美夕が3歳になるまでは生きていたいんですよ。3歳になれば記憶に残るって言うじゃないですか。本当はずっと生きていたいんですよ」小さなビデオカメラを池田さんに向けていた私は何も言えませんでした。涙が流れました。



