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小学校英語情報誌 Hello, Kids! Vol.6-1外国語活動を通して,被災地の子どもたちの心の支援を -1- Minamisoma English Smile Project

 2011年3月11日の東日本大震災から3か月が過ぎた6月13日に,私は福島県南相馬市教育委員会からALT(英語指導助手)の辞令をいただきました。メディアで広く報道された通り,南相馬市は地震,津波,原発事故と3つの災害が重なっていた地域です。震災前は6名のALTが市内の中学校6校と小学校16校に勤務していましたが,多くの市民と同じく危険を感じ,全員が帰国しました。

 私の家は同じ南相馬市小高区にあるため,原発事故により避難命令が出され,原発から100キロ離れた会津若松市に家族と避難しました。その後4月中旬に地元浜通りの相馬市に戻ってきて,ボランティアをしながら仕事を探しました。「子どもたちに会いたい。今こそ,自分の力を試したい。」と毎日思っていました。

 実は,震災前の13年間,私は双葉郡大熊町の外国人英語講師を務め,平成14年度(2002年度)からは原発から4.5キロ離れた熊町小学校と,6キロの大野小学校に勤務し,毎年合わせて700名の小学生(1~6年生まで)に授業をしてきました。しかし一瞬で,長年かけて積み重ねてきた教育,各学校の英語教室,手作り教材,教室でいつも聞こえていた子どもたちの笑い声が消えました。

 震災後,南相馬市でたった一人のALTとして小学校16校を受け持つことになりました。夢にも思っていなかった,最高のチャンスを手に入れました。しかし,当初,小・中合わせて6,021名いた在校生は,4,000名も少ない2,076名(34%)で,4月22日に先生方や教育委員会の努力で,ようやく学校を再開できました。原発からいちばん遠い北部の鹿島区で全部の小・中学校が6か所に集まり,多いところでは6つの小学校が1つの小さな学校で授業をしているところもありました。廊下,家庭科室や図書室を教室にしたり,体育館を区切ったりして学校を再開したところもありました。先生方は自分の悲しみや不安を乗り越え,手を取り合って,一から学校を作っていきました。こんな混乱の中で私は通常の英語の授業ができるのかとても不安でした。教育長さんから辞令を受け取った瞬間,大好きな小学校教育への職場復帰の喜びより,今回の仕事の責任の重さとともに今までにない大きな挑戦だと感じました。

外国語活動を通して,被災地の子どもたちの心の支援を -1- Minamisoma English Smile Project しかし,その気持ちを吹き飛ばす,教育委員会の担当者からの一言がありました。「アリソンさんね,これからすぐ学校に行ってください。今日から授業をお願いします。」私はスーツ姿のまま,ハンドバッグ一つで,鹿島小学校に向かいました。

 その日は,2時間目から4時間続けて授業をしました。残念ながら準備も教材一つもない状況で,初めて被災した子どもたちとの授業をしました。でも通常の接し方や授業がこういう子どもたちにはいちばんよかったと今振り返って思います。

 当時びっくりしたことは,子どもたちの元気な姿や変わりない笑顔でした。先生方や各方面からの支援により,子どもたちは環境や状況が変わっても安心して学校生活を送ることができました。私も,今まで実践してきたことを思い出し,積み重ねた経験を生かすことができ,うれしく思いました。子どもたちの笑顔で私の不安は消え,そのことは英語を通して,今まで長年こつこつと積み重ねてきた経験の表れだと感じました。そのときから私の目標を,外国語活動を通して震災を経験してしまった子どもたちの顔を少しでも笑顔に変えることに決めました。(Vol.6-2へ続く

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